昭和の歌謡曲に息づく言霊の美しさ|職業作家が描いた日本語の世界

カルチャー

私は、日頃あまり公にはしていませんが、実は昭和の歌謡曲が大好きです。
当時の歌は、今のように“気軽な言葉遊び”ではなく、職業作家が丁寧に選び抜いた日本語の詩で成り立っていました。その一行一行に込められた想いや情景に引き込まれ、何度も歌詞を読み返してしまうことがあります。

大人の女性歌手たちが輝いた時代

アイドル全盛期の前、昭和40年代には、大人の女性歌手が音楽界の中心にいました。
ザ・ピーナッツ、弘田三枝子、黛ジュン、奥村チヨ、中村晃子――。
彼女たちは、歌を「芸」として磨き上げ、ステージで表現していました。
単なる“人気商売”ではなく、歌唱力と表現力で人々を魅了するアーティストだったと思います。

特に印象に残っているのは、弘田三枝子さんが歌った『ジャングル大帝』のエンディング曲。
ヒットソングではないものの、生命や希望を感じさせる美しい旋律が今でも心に残っています。
当時の作詞家・作曲家たちが作り出す世界には、哲学的な深みがあったと感じます。

アイドル文化がもたらした変化

やがて時代が進み、「アイドル」という新しい存在が台頭してきました。
当時のアイドルの定義は、どこか面白いものでした。
「身長160cm以下で、可愛らしさを誇張する」――そんな風に言われていたこともあります。

歌唱力は昭和の実力派歌手ほどではなかったかもしれませんが、
代わりにエンターテイメント性が加わり、人々の“癒し”と“娯楽”の中心となりました。
テレビを通して、家庭に笑顔と話題を届ける存在。
それはそれで、昭和という時代の優しさを象徴していたのかもしれません。

言霊と日本語の美しさをもう一度

私は1960年生まれ。18歳を過ぎた頃からは音楽を深く追いかけなくなりましたが、それでも心に残るのは、やはり職業作家が紡いだ日本語の詩です。

現代のように英語のフレーズを多用したり、日常の言葉をそのまま歌にするのではなく、昔の作詞家たちは、「言霊」――言葉そのものに宿る力を信じていました。
大和言葉の響きや余白、季節感、間合い。
それらを生かすことで、心に深く残る詩が生まれたのです。

時代が移り変わっても、あの頃の歌詞が心に残り続けるのは、日本語の美しさと作詞家の魂が込められているからでしょう。
昭和の歌謡曲は、単なる懐メロではなく、日本人の心の文化遺産だと思います。

まとめ|昭和の歌は、心の教科書

今の時代にこそ、昭和の歌詞や旋律をもう一度味わう価値があると思います。
そこには、「人を思いやる言葉」「季節を感じる情緒」「人生を見つめる哲学」など、忘れかけた日本人の原点が詰まっています。

音楽は時代を超えて生きる文化。
これからも、あの時代の詩を読み返しながら、言葉の力を見つめ直したいと思います。