父が通い続けた、中華屋のラーメン
今から10年ほど前、すでに亡くなった父が、気に入って何度も通っていた中華屋のラーメンがありました。
「何か、懐かしい味がするんだ」
そう言って、特別な店でもないその中華屋に足を運んでいました。あまりにも気に入っている様子だったので、私も一度一緒に行ってみることにしました。
その「懐かしさ」の正体に気づいた瞬間
実際にラーメンを食べてみて、私もすぐに分かりました。確かに、どこか懐かしい。味そのものが特別に洗練されているわけではないのに、記憶の奥を刺激する感覚がありました。
その時、ふと思ったのです。この懐かしさの正体は、おそらく「味の素」なのだろうと。
味の素に慣れすぎていた、昭和という時代
昔は、誰もが味の素の味に慣れすぎていたのだと思います。40年ほど前、私の身の回りでも「味の素がないと料理が美味しくできない」と本気で言う人がいました。
それは冗談ではなく、日常の感覚でした。それほどまでに、味の素は生活に溶け込んでいたのです。
万能調味料だった、昭和の味の素
当時の家庭では、味の素はまさに万能調味料でした。煮物、炒め物、汁物はもちろん、今思えば少し驚きますが、冷奴にまで味の素を振りかけていた記憶があります。
醤油+味の素。この組み合わせは、昭和の食卓ではごく当たり前の光景でした。
味の素を入れるほど「中華の味」になる不思議
不思議なことに、味の素を多く入れれば入れるほど、「中華の味」になるような気がしていました。この感覚は、理屈ではなく体に染みついたものだったと思います。
今振り返ると、これは完全に世代的な刷り込みだったのかもしれません。
中華料理と化学調味料の関係
おそらく、中華料理には多くの化学調味料が使われているのでしょう。それが悪いという単純な話ではありません。
ある知り合いの料理人が、こんなことを言っていました。
「料理の工程の中に、化学調味料も含まれている。化学調味料は、必ずしも悪ではない」
化学調味料は、使い方次第
確かに、使い方次第で料理を支える存在にもなります。味をまとめ、ブレをなくし、一定の満足感を与えてくれるのも事実です。
一方で、頼り過ぎると素材そのものの味が分からなくなるのも、また事実です。
昭和の食卓に「安全」より優先されたもの
今の時代は、天然だし、オーガニック、原料国産、無農薬など、食の安全性が強く意識されています。
しかし、昭和30年代、40年代の平均的な5人家族にとっては、「安くて、お腹いっぱいになること」が何よりも優先されていました。
満腹こそが豊かさだった時代
マイホームの夢を見て、とにかく家族全員が満腹になること。それが生活の安定であり、豊かさの象徴だったのだと思います。
カロリー計算や塩分摂取、血糖値の上昇を抑えるといった、今のような論理的な健康知識は、当時ほとんどありませんでした。
肥満児が「健康優良児」だった時代
私が小学生の頃、健康優良児の表彰を受けていたのは、なんと肥満児でした。
今の基準から考えると、少し信じられませんが、それが当たり前だったのです。
食糧事情という背景もあったと思いますが、今振り返れば、どこか「偏食児童」にも見えてしまいます。
昭和の味は、記憶の中に生き続ける
父が「懐かしい」と言っていたラーメンの味。その正体が味の素だったとしても、それを否定する気にはなれません。
昭和の味の素は、単なる調味料ではなく、その時代の暮らしや価値観そのものだったのだと思います。
懐かしさとは、味だけでなく、生きてきた時間そのものなのかもしれません。
