今の時代、ひとりで部屋にいる中高年男性や女性であっても、YouTubeやChatGPT、そしてお酒があれば、一日をそれなりに穏やかに、問題なく過ごせてしまいます。
退屈に耐える必要もなく、時間を持て余してもがく場面も少ない。
楽しめるツールの精度が高く、「ひとりでいること」が成立する時代になりました。
ひとりでも、もう「つまらなくない」
かつての孤独は、どこか不安を伴うものでした。
誰とも話さない時間が続くと、気持ちが沈み、外に出る理由を探したものです。
しかし今は違います。
動画を見れば誰かが話しかけてくれるような錯覚があり、
AIは適度な距離感で会話に付き合ってくれる。
孤独は「耐えるもの」ではなく、
一定条件さえ揃えば、問題なく成立する状態に変わりました。
気のせいではない、身体と関心の変化
私の身の回りにいる中高年男性や女性を見ていると、ひとつ気づくことがあります。
上半身の体型に比べて、足が細い人が多い。
そして、政治の話題やスポーツの話を好む傾向がある。
これは単なる偶然ではなく、象徴的な変化にも見えます。
足は「移動」や「外の世界との接点」を表します。
一方、政治やスポーツの話題は、自分が当事者にならなくても語れる安全な娯楽です。
身体は動かさなくなり、関心は情報の世界へ向かう。
現代的な孤独の形が、そこに現れている気がします。
人と深く関わらなくても、生きていける環境
今は、人と必要以上に交わらなくても生活が成立します。
他人の愚痴や感情の起伏を受け止め、
消化し、気を遣う――
そうしたエネルギーを使わなくても、
日常は問題なく回ってしまう。
便利さと引き換えに、
人付き合いは「コストの高いもの」に見えやすくなりました。
YouTubeやAIがもたらす、静かな弊害
これは否定したい話ではありません。
私自身も、その恩恵を感じています。
ただし、弊害があるとすれば、それはとても静かに進行します。
- 身体を使って世界と接する機会が減る
- 偶然の出会いが起きにくくなる
- 人間関係の面倒さに耐性がなくなる
- 孤独が問題として表面化しにくくなる
刺激は常に与えられているのに、
現実の世界との接点は少しずつ薄れていく。
孤独に気づくのは、元気な時ではない
孤独が成立する時代の怖さは、
孤独そのものに気づきにくいことにあります。
日常が回っている間は、問題は表に出ません。
動画を見て、AIと会話し、酒を飲み、眠る。
それで一日は終わってしまう。
しかし、本当に孤独を突きつけられるのは、
病気になった時です。
体調を崩し、思うように動けなくなり、
判断力も気力も落ちた時。
その瞬間に初めて、
「連絡する相手がいない」
「頼れる存在が思い浮かばない」
という現実が、はっきりと浮かび上がります。
成立していたはずの孤独が、崩れる瞬間
元気なうちは、孤独は成立します。
しかし、身体が弱った瞬間、
孤独は「成立していた状態」から
「支えの無さ」として姿を変えます。
それは突然で、しかも非常に現実的です。
孤独が成立する時代に必要な視点
孤独を否定する必要はありません。
出かけること。
身体を動かすこと。
偶然に触れること。
それらは娯楽ではなく、
将来の自分を支えるための
静かな備えなのかもしれません。
便利な時代に、何を残しておくか
孤独が成立する時代だからこそ、
あらかじめ残しておくべきものがあります。
便利さに包まれた日常の中で、
現実に戻れる通路を、
意識的に閉ざさないこと。
それが、この時代を
静かに生き抜くための条件なのだと思います。

