私くらいの年金受給者(65歳)になると、周りも定年を迎え、退職金を受け取った人ばかりになります。
長年働いてきた友人たち。夫婦揃って役所を退職した人もいれば、大企業を勤め上げた人もいます。話をしていると、だいたいどのくらいの資産を持っているのか、何となく想像がつきます。
「持っている」はずなのに、使っていない現実
不思議なのは、皆それなりに資産を持っているはずなのに、話していてもお金を使っている雰囲気がほとんど無いことです。
持ち家で、すでに住宅ローンも完済している人がほとんど。それでも、高価な物を購入したり、豪華な旅行に出かけたり、大規模なリフォームをしたりという話はあまり聞きません。
慎ましく、堅実に、静かに暮らしている印象です。
使わずに残るお金を何度も見てきた
これまでの人生の中で、高齢になってから何かあった時のためにと大金を維持し、病気などで結局ほとんど使う機会がないまま亡くなり、残された家族がそのまま大金を引き継ぐ例を、私は結構見てきました。
例えば、資産が1億円近くあった場合、「せめて2,000万円くらい残して、8,000万円は20〜30年前の元気なうちに使えば良かったのに」と、他人事ながら思ってしまうことがあります。
もちろん、これは外から見た勝手な感想に過ぎません。しかし、元気に動ける時間には限りがあるのも事実です。
年金だけでは足りないという現実
いずれにしても、私たちは未知の世界に突入しています。
年金だけでは足りない、という話はよく分かります。医療費、物価上昇、予期せぬ出費。将来に対する不安は尽きません。
しかし一方で、「そんなに使わずに持っている必要があるのか」という疑問も湧いてきます。どこまで備えれば安心なのか、その答えは簡単には出ません。
もしかして、施設入居を見据えているのか
もしかしたら、体が不自由になった時、サービスの充実した施設に入ることを視野に入れているのかもしれません。
もしそうなら、確かにかなりの大金が必要になります。入居一時金や月々の費用を考えれば、数千万円単位の備えがあっても不思議ではありません。
そう考えると、簡単に「もっと使えばいいのに」とも言えなくなります。
結論は「貯金は切り崩したくない」
まあ、結論としては、貯金は切り崩したくないのでしょうね。
長年かけて積み上げてきたお金。減っていく数字を見るのは、精神的に抵抗があるのかもしれません。
通帳の残高は、安心の象徴でもあります。
元気な時間は、想像以上に短い
それでも思うのです。元気な時期は、限られています。
脚が動きにくくなり、遠出も難しくなってから、貯金通帳を眺めても仕方がないのではないか、と。
お金は安心を与えてくれますが、時間は買えません。
貯める老後か、使う老後か。正解は人それぞれでしょう。
ただ少なくとも、自分にとっての「ちょうどいい使い方」を、元気なうちに考えておきたいと思うのです。
