昭和の「口減らし」という現実
私の母は昭和14年(1939年)生まれ。
新潟の田舎で5人兄弟の中に育ちました。
当時は、兄弟が多ければ多いほど生活が厳しくなり、中学を出ると家を出て働きに行くのが当たり前の時代でした。
兄弟たちが次々と巣立っていくことを「口減らし(くちべらし)」と呼び、家計を支えるための現実的な選択だったのです。
優秀でも進学できなかった少女のこと
母が当時のことを振り返ると、中学の同級生にとても成績優秀な女の子がいたそうです。
しかし、その子は家庭の事情で上の学校には進めず、働きに出ざるを得なかったといいます。
母は今でも、「本当に頭が良い子だった。どうしているかなぁ…」と、しみじみ語ります。
昭和の初期、どれだけ才能があっても、家庭の経済力によって将来が決まってしまう時代だったのですね。
でも、きっと母の同級生の女性は、頭の良い人だったのです。
成人して状況が落ち着いたあと、学問の重要性を感じたら、きっと遅まきながらでも勉強を始めていたと思います。
そう信じることで、当時の「報われなかった才能」に、少し救いを感じるのです。
辞書を手放さなかった母の努力
母自身も中学を卒業してすぐに上京しました。
そのとき、ぼろぼろになった国語辞書を大切に抱えていたそうです。
仕事の合間に分からない言葉を調べ、丁寧に漢字を覚えていった母。
高等教育を受けられなくても、「知りたい」という意欲だけで道を切り開いていく姿には、静かな強さがありました。
祖母は生涯、識字ができなかった人でした。
きっと必要性を感じなかったのでしょう。
でも母は、教育の大切さを言葉で語ることはできなくても、子どもには“学ぶ機会”を与えようと努力してくれました。
教育の連鎖が生まれるまで
母の努力の結果、私たちの世代では進学が当然となり、母の孫たちは医療系の大学に進学しています。
わずか二世代で、「学ぶことが贅沢」から「学ぶことが当たり前」へ。
悪い連鎖を断ち切り、良い教育の連鎖に乗るには、二世代ほどの時間が必要なのだと実感します。
昭和の家庭から受け継いだ“学ぶ力”
母の生き方を通して、私は「学ぶ」という行為の原点を見た気がします。
豊かな時代になった今だからこそ、あの時代の人たちの“知を求める姿勢”に学びたい。
昭和の「口減らし」の時代を懸命に生き抜いた人々の努力が、私たちの暮らしや教育の基礎を築いているのです。
まとめ”
時代が変わっても、母たちが持っていた「知りたい」「学びたい」という気持ちは、今も私たちの中に生きています。
学ぶ力は、血の中に流れる“遺伝子”のようなものなのかもしれませんね。

