才能の前倒し|早く結果を出すことと、伸び続けることは別だった
私は高校時代の3年間、陸上競技に打ち込んでいました。
その影響もあって、今でも陸上競技を映像で観るのが好きです。
当時の先輩の中には、箱根駅伝を走った人もいました。
一方で、私自身は特別な結果を残せた選手ではなく、
高校3年間で競技生活は十分だと感じていました。
ただ、1970年代中期という時代を振り返ると、
「もう少し、やりようはなかったのだろうか」と、
今になって思うことがあります。
走る理論も、休む理論もなかった時代
当時は、走るための理論や、休息の重要性といった考え方はほとんどありませんでした。
とにかく走る。
量をこなす。
上下関係は厳しく、合宿も経験しました。
「根性」と「我慢」が評価される時代だったと思います。
それが良かったのか悪かったのかは、簡単には言えません。
ただ、身体や将来を見据えた指導とは、かなり距離があったように感じます。
「才能は進化したのではなく、前倒しされているだけ」
ずっと心に引っかかっている言葉があります。
スポーツライター・玉木正之氏が、20年以上前にテレビで語っていた言葉です。
「今の中学生や高校生が活躍しているのは、
能力が進化したのではなく、才能が前倒しされているだけだ」
この言葉は、妙に腑に落ちました。
一流校ほど「才能を前借りしない」
現在のスポーツ強豪校を見ていると、
一流校ほど指導が論理的で、冷静です。
・将来のステージにつながる指導
・個別メニューの導入
・急成長期の故障防止
結果を出しながらも、
「今だけ」を使い切らない設計がされています。
中学生で結果を出させるのは、実は簡単
陸上の為末大氏も、かつてこんな趣旨のことを語っていました。
「才能ある中学生に、国際大会で結果を出させるのは実は簡単。
成長期のフォームを固め、疲れを知らない身体に強い練習を課せばいい」
しかし、そうして作られた選手の多くは、
その後に伸び悩み、「消えた天才」と呼ばれてしまう。
これこそが、才能の前倒しの怖さなのだと思います。
私自身は、使い切らなかった選手だった
私の場合、高校時代で競技人生は終わり、
その先はありませんでした。
正直に言えば、
「全部使い切ってもいいから、燃え尽きるまでやった方が良かったのでは」
と思うこともあります。
ただ、燃え尽きなかったからこそ、
今もこうして、楽しく走り続けられているのかもしれません。
高校スポーツ指導の評価軸を変えてほしい
高校の指導者が、学校の名声を背負っていることは理解しています。
結果が求められる立場であることも、分かります。
それでも、高校時代の成績だけでなく、
そこから巣立った選手が、
大学・社会人・プロでどれだけ伸びたか。
そうした「その後」を評価軸にしてほしいと、個人的には思います。
勝利至上主義が残したもの
昔の高校野球でも、
名将と呼ばれた監督のもとから、
プロで大成した選手が意外と少ないケースがあります。
勝つために、今を使い切る。
その裏で、潰れていった選手も少なくありません。
後になって当時を振り返り、
「悔いはない」と語る人もいます。
時間は戻らない以上、
そう言うしかないのも、また現実です。
指導者になった時、人は同じことを繰り返さない
ただ一つ確かなのは、
そうした経験をした人が指導者になった時、
自分と同じ思いをさせまいとするケースが多いことです。
失われた時間は戻らなくても、
次の世代には生かせる。
それが、スポーツの本来の継承なのだと思います。
燃え尽きなかったから、今がある
私自身は、燃え尽きたわけでもなく、
かといって完全燃焼でもありません。
だからこそ、今も日々、
楽しみながら走っています。
才能を前倒しせず、
人生のどこかで、長く使える形で残しておく。
それもまた、一つの幸せなのかもしれません。

