店内で帽子を脱がない高齢者が苦手
私は、店内で帽子を被ったままの高齢者が、昔から少し苦手です。
特に、高齢男性の集まりなどでは、
「ハンチング帽子+眼鏡」
という組み合わせをよく見かけます。
しかも、食事中や室内でも脱帽しない。
その姿を見るたびに、少し独特な違和感を覚えます。
昔の感覚では“室内は脱帽”だった
もちろん、時代と共にマナーや価値観は変化しています。
しかし、私の感覚では、やはり室内や飲食時は脱帽するもの、という意識があります。
これは単なる形式ではなく、
「相手に対して自分を開く」
という意味も含まれている気がするのです。
道徳を語る人ほど気になる
特に気になるのは、普段から道徳や常識を語っているタイプの人です。
そういう人が、自分独自のルールで振る舞っていると、どこか説得力に欠けて見えてしまいます。
もちろん、帽子を被っている事自体が悪い訳ではありません。
ただ、“自分だけ特別ルール”のように感じてしまうのです。
帽子を被る理由も理解は出来る
一方で、帽子を被り続ける理由も、ある程度は想像できます。
髪が薄くなってきた。
ヘアスタイルを気にしなくて済む。
あるいは、少し芸術家風に見せたい。
年齢を重ねると、“雰囲気”で自分を演出したくなる気持ちも分かります。
帽子には“表情”がある
実際、帽子というのは便利なアイテムです。
帽子そのものに表情があります。
ハンチング帽などは特に、“知的”“渋い”“芸術家風”という印象を作りやすい。
そのため、全体の雰囲気が簡単にまとまります。
人から「おしゃれですね」と言われる事もあるのでしょう。
帽子は“簡単に雰囲気が出る”
服装だけで個性やデザイン性を出すには、かなりセンスが必要です。
色合わせ。
サイズ感。
素材感。
そういう細かい部分を積み重ねなければなりません。
しかし帽子は、それ単体で雰囲気を作ってくれる。
そういう意味では、非常に便利なのだと思います。
ただ、表情が隠れる
しかし私は、向かい合って会話する時に、帽子によって相手の表情情報が減る事が気になります。
額。
眉間。
髪型。
目元周辺。
人は、そういう細かい情報から相手の感情を読み取っています。
ところが帽子を深く被っていると、その情報量が減るのです。
距離が縮まらない感覚
実際、帽子を被ったまま話している人とは、どこか距離が縮まらない感覚があります。
会話は成立している。
しかし、“心が通った”感じが弱い。
表情がオープンになっていないため、無意識に壁を感じるのでしょう。
表情を見せる事は“対話”でもある
やむを得ない身体的理由は別として、やはり基本は、表情を見せる事だと思います。
人間は顔でコミュニケーションしています。
特に年齢を重ねるほど、“何を話すか”以上に、“どういう表情で話すか”が重要になる気がします。
穏やかな表情。
優しい目線。
柔らかい額の動き。
そういう物が、人間関係の空気を作ります。
独自ルール化する高齢者
高齢になると、自分独自のルールを作る人がいます。
「俺はこれでいいんだ」
という感覚ですね。
もちろん、長年生きてきた自負もあるのでしょう。
しかし、その“自分ルール”が増え過ぎると、周囲との感覚がズレていきます。
迷惑ではないが、不快に思う人はいる
実際問題、帽子を被って食事している事で、誰かに直接迷惑を掛けている訳ではありません。
気にしない人も多いでしょう。
しかし、違和感や不快感を持つ人も、一定数いるはずです。
マナーというのは、法律ではなく、“相手への配慮”の積み重ねなのかもしれません。
昔の人達の知恵でもある
帽子に関する男女のルールも、結局は長い歴史の中で作られてきた“社会的知恵”なのでしょう。
先人達が、人間同士の関係性を円滑にするために積み重ねてきた習慣。
完全に合理的ではないかもしれません。
しかし、そこには人間関係をスムーズにする意味も含まれている気がします。
年齢を重ねるほど“開く力”が必要
年齢を重ねると、人は守りに入ります。
だからこそ、逆に“自分を開く力”が重要なのかもしれません。
帽子を脱ぐ。
表情を見せる。
相手に安心感を与える。
そういう小さな行為の積み重ねが、人との距離感を変えるのでしょうね。
