フリーランス時代に身についた「感情と仕事を分ける」習慣
私は昔、東京で長くフリーランスとして仕事をしていました。
組織に所属していれば、多少人間関係が悪くても、会社という看板や組織が間に入ってくれます。
しかし、フリーランスの場合は基本的に自分自身が看板です。
仕事を依頼してもらい、結果を出し、また次の仕事につなげる。その繰り返しで生きていかなければなりません。
そこで自然と身についたのが、「ビジネスでは敵を作らない」という考え方でした。
どれほど苦手な相手でも、仕事になれば感情を切り離します。
極端に言えば、嫌悪感さえも「これは仕事であり、お金をいただくための関係だ」と切り替えることで、かなりコントロールできるようになりました。
大人には「体裁を整える力」も必要だと思う
私は、社会人として体裁を整えることも一つの能力だと思っています。
嫌いだから露骨に嫌な顔をする。気に入らないから話をしない。腹が立ったから、そのまま態度に出す。
自分の感情に正直と言えば聞こえは良いのですが、仕事の世界では、それだけでは多くの人と関係を築くことができません。
人間ですから好き嫌いがあるのは当然です。
大切なのは、好き嫌いという感情を持たないことではなく、その感情に自分の行動を支配させないことだと思います。
対立した時ほど、相手側から自分を見る
もう一つ、長年意識している習慣があります。
誰かと意見が対立した時、意識的に相手側の立場へ移動して、自分自身を見ることです。
「もし自分が相手だったら、私のことをどう見るだろう。」
「なぜ、この人は私に対してこんな態度を取るのだろう。」
「相手から見れば、私にも腹を立てる理由があるのではないか。」
時には、自分で自分を攻撃するくらいの気持ちで考えます。
そうすると、自分にも少し落ち度があったことに気づく場合があります。
自分に非があると分かれば、何でも相手の責任にしてしまうこともなくなります。
人間はどうしても自己評価が高くなる
相手の立場から考えることが重要なのは、人間はどうしても自分自身を高く評価しやすいからです。
これは、ある意味では当然です。
自分がどれだけ努力したか、どれだけ考えたか、どんな事情があったのかを最もよく知っているのは自分自身です。
一方、周囲の人は、その人を四六時中見ているわけではありません。
自分には「ここまで考えてやった」という背景があっても、相手から見えるのは最終的な行動だけということがあります。
だから、自分の視点だけで物事を考えていると、「自分は悪くない」という結論に傾きやすくなります。
そこで一度、相手の椅子に座ったつもりで自分を眺めてみる。
これだけでも、随分と景色が変わります。
相手の立場になると、次の行動まで見えてくる
不思議なもので、相手の立場になって考えていると、その人が次にどう出てくるのかも少しずつ想像できるようになります。
同時に、それまで見えていなかった相手の長所が見えることもあります。
嫌いだと思っている時は、相手の嫌なところばかり探しています。
しかし、その人にも事情があり、得意なことがあり、守ろうとしているものがあります。
そこまで見えるようになると、対立している相手であっても、大きな気持ちで包めるようになることがあります。
取引先の会社員には「手柄」を持って帰ってもらう
フリーランス時代は、出版社やテレビ局などへ頻繁に出入りしていました。
私の取引相手は、そこで働いている会社員の方々です。
私はフリーランスですから、仕事が成功すれば自分自身の実績になります。
しかし、会社員には会社員の世界があります。
上司がいて、部下がいて、社内で評価される必要があります。
そこで、仕事がうまくいった時には、なるべく担当者が社内で手柄を立てられるようにすることを意識していました。
反対に、何かミスやトラブルが起きた時には、外部の人間である私が引き受けられる部分なら、なるべく先に引き受けるようにしていました。
そういうことは、意外と相手が覚えているものです。
そして別の機会に、何らかの形で恩を返してくれることもありました。
もちろん、仕事以外の場面では、なるべく相手に財布の紐を開かせないようにもしていました。
仕事をもらう立場だからこそ、自分ができる気遣いはする。そんな関係を心掛けていました。
人と人をつないだ時の「キマッたな!」という感覚
フリーランスをしていて、特に気持ちが良かった仕事があります。
それは、人と人をつなぐことです。
「この二人は絶対に相性が良い。」
「この人の技術と、あの人の企画を組み合わせたら面白い。」
そんなことを考えながら人を紹介し、実際に両者にメリットが生まれ、二人とも喜んでくれた時には、心の中で「キマッたな!」と思ったものです。
ただ紹介するだけでは、人はうまくつながらない
人と人をつなぐ時には、単に「この人を紹介します」では十分ではありません。
会わせる前に、それぞれの長所を相手へ伝えておきます。
「この人は、こういう分野が本当に得意です。」
「こういう実績があって、こんなところが面白い人です。」
お互いに相手への良い予備知識を持った状態で会ってもらうのです。
そうすると、初対面でゼロから探り合う必要がありません。
最初から一段高いところから会話を始めることができます。
人を紹介するということは、二人を同じ場所へ連れてくるだけではなく、出会う前に良い土台を作っておくことなのだと思います。
ギクシャクした関係では「クッション材」になる
反対に、すでに関係がギクシャクしている二人の間に入ることもありました。
この場合は、双方の話を聞きながら、「どこから行き違ったのか」を探します。
本人同士では感情が入っているため、相手の言葉を悪い方向へ解釈してしまうことがあります。
しかし、第三者なら少し離れたところから見ることができます。
「あの人が言いたかったのは、そういう意味ではないと思いますよ。」
「こちらにも、こういう事情があったようです。」
双方の言葉を少し柔らかくして伝える。
人間関係にも、衝撃を吸収するクッション材のような役割をする人間が必要なのだと思います。
35年ほど前、一本の煙草から学んだこと
こうした私の考え方の原点になった、忘れられない出来事があります。
今から35年ほど前、私が30代前半だった頃です。
当時の私はまだ煙草を吸っていました。
ある仕事現場で初対面の人と会ったのですが、第一印象から「この人とは合わないな」と感じました。
特に何かをされたわけでもないのに、生理的に苦手だと感じてしまったのです。
当時はまだ若く、そうした感情を現在ほど上手にコントロールすることもできませんでした。
灰皿が一つしかなかった
仕事の途中で煙草を吸おうと思い、灰皿のある場所へ行きました。
すると、そこには灰皿が一つしかありません。
そして、よりによって先ほど「苦手だ」と感じたその人も煙草を吸いに来ました。
二人きりです。
黙って煙草を吸い続けるのも気まずいので、私は思い切って当たり障りのない話をしてみました。
すると、その人は実に心地よく言葉を返してくれました。
話してみると、思っていた人物像とは全く違います。
そして不思議なことに、ほんの短い会話をしただけで、それまで苦手だったその人を一気に好きになってしまいました。
「好き」と「嫌い」は紙一重なのかもしれない
この時、私は一つのことを学びました。
人間の「好き」と「嫌い」は、案外、紙一重なのではないかということです。
嫌いだと思っていた相手を、本当に知った上で嫌っていたわけではありません。
見た目、話し方、雰囲気など、わずかな情報から自分の頭の中で人物像を作り、その人物像を勝手に苦手だと思っていただけでした。
ところが、一言話しかけたことで、その人物像が一瞬で崩れました。
人間関係には、こういうことが意外と多いのかもしれません。
嫌いな人ほど、一度こちらから話してみる
以来、これは私自身の教訓になっています。
第一印象で「この人は苦手だ」と思っても、それだけで相手を決めつけない。
できることなら、一度こちらから話しかけてみる。
そして対立した時には、相手の立場から自分を見てみる。
もちろん、それでも合わない人はいます。
すべての人と親友になる必要もありません。
しかし、「嫌い」という感情だけで関係を閉じてしまえば、その先にあったかもしれない関係まで自分から捨てることになります。
フリーランスとして多くの人と仕事をしてきた経験から、私は「敵を作らない」ということを学びました。
それは相手に迎合することではありません。
自分の感情を一度横に置き、相手の立場からも物事を見る。そして、必要なら自分から一歩近づいてみる。
35年ほど前、たった一つの灰皿の前で交わした短い会話は、その後の私の人付き合いに影響を与えた、大切な経験になっています。
