「もったいない」で残した物は、いつか誰かが捨てる ― 3軒の家を断捨離して気づいた贈答品の難しさ

ライフスタイル

私は、できるだけ生活感のない部屋で暮らしたい

私はいつも、部屋から極力生活感を排除して、スッキリした空間で暮らしたいと思っています。

もちろん、生活する以上は物が必要です。

しかし、「いつか使うかもしれない」という理由だけで物を持ち続けると、いつの間にか家の中は物でいっぱいになります。

そこで最近は、まだ使える物であっても、現在使っていなければ、

「本当に必要になった時に、もう一度買えばいい。」

そのくらいの気持ちで整理するようになりました。

多少もったいないようにも感じますが、使わない物を何年も保管するために、家の貴重な空間を使い続けるのも、別の意味でもったいないと思うからです。

藤沢、熱海、鵜の木――3軒を整理して気づいたこと

最近、藤沢、熱海、鵜の木と、複数の家の断捨離をしました。

一軒だけを整理している時には気づかなかったことも、何軒も続けて整理していると見えてきます。

その中でも特に驚いたのが、タオルやシーツ、夏掛けブランケットなどの寝具類の多さです。

「なぜ、こんなにあるのだろう。」

考えてみると、自分たちで買った物ばかりではありません。

長年にわたって親族を含めた冠婚葬祭があり、香典返しなどでいただいた品物が相当数含まれていました。

なぜか家に増えていくタオル

タオルというのは、贈答品の定番なのでしょう。

香典返しでいただくこともありますし、仕事関係の業者などから挨拶代わりにいただくこともありました。

確かにタオルなら誰でも使います。

食品のように好みが大きく分かれるわけでもなく、腐ることもありません。

贈る側からすると、非常に無難な品物なのだと思います。

ところが、この「腐らない」というところが問題でもあります。

使い切れなければ、ずっと家に残ります。

箱に入ったまま押し入れの奥へ入り、何年、場合によっては何十年と保管されてしまいます。

使わない新品ほど、捨てるのが難しい

断捨離で厄介なのは、ボロボロになった物ではありません。

明らかなゴミなら、迷わず処分できます。

本当に困るのは、

「新品だけれど使わない物」

です。

箱に入ったきれいなタオルを見ると、

「まだ使えるのに捨てるのはもったいない。」

と思います。

ところが、そう思って何年も残してきたからこそ、今ここに大量にあるわけです。

結局、誰かがどこかの時点で決断しなければ、物は減りません。

今ではタオルをティッシュのように使っている

現在、余っているタオルについては、かなり積極的に使っています。

掃除などに使い、場合によってはティッシュや雑巾のような感覚で使い切って処分します。

以前なら、

「まだきれいなのにもったいない。」

と思ったかもしれません。

しかし、使わないまま収納しておくより、一度でも役に立ってから処分した方が良いと思うようになりました。

物は、持っていることに意味があるのではなく、使って初めて意味があるのでしょう。

さらに困るのが、シーツや夏掛けブランケット

タオル以上に処分に困るのが、シーツや夏掛けブランケットなどの寝具類です。

こうした物も、贈答品としていただく機会が意外に多くありました。

しかもタオルより大きいため、保管するにも場所を取ります。

家庭で必要なシーツや夏掛けの枚数には限度があります。

家族の人数以上に大量にあっても、なかなか出番はありません。

これまでにも、夏掛けブランケットやシーツをどれだけ処分したか分かりません。

それでも整理を続ければ、まだまだ出てくると思います。

贈る側の「半返し」と、受け取る側の事情

香典返しでは、いただいた金額に応じて、それなりの品物を選ぶことになります。

例えば3万円いただいたのであれば、その一部に相当する品物をお返しするという考え方があります。

贈る側としては、失礼のない品物を選ばなければなりません。

そうすると、誰でも使えそうなタオルや寝具などが選ばれやすくなるのも分かります。

問題は、受け取る側にはすでに十分な量があるかもしれないことです。

贈る側にとっては一箱でも、受け取る側では、それまでに届いた何箱もの贈答品に新しい一箱が加わります。

善意で贈られた物だから、余計に捨てにくい

そして贈答品には、普通の買い物とは違う難しさがあります。

自分で買って失敗した物なら、

「これは使わない。」

と比較的簡単に処分できます。

しかし人からいただいた物には、その人の気持ちが付いているように感じます。

だから使わなくても捨てにくい。

結果として、押し入れや収納の奥に長期間残ります。

贈ってくれた人も、何十年も保管してほしいと思って贈ったわけではないでしょう。

それでも、いただいた側には「捨てるのは申し訳ない」という気持ちが残ります。

シャネルの石鹸は、ありがたかった

そんな贈答品の中で、今でも印象に残っている物があります。

以前、シャネルの石鹸をいただいたことがありました。

これは、ありがたかったですね。

香りも良く、自分では普段わざわざ買わないような物です。

そして石鹸ですから、使えば少しずつなくなっていきます。

私は贈り物というのは、こういう物が良いのではないかと思うようになりました。

自分では買わないけれど、もらえば少し嬉しい。

使っている間は楽しめて、最後にはきれいになくなる。

家の中に何十年も残りません。

「消えてなくなる物」は、実は優秀な贈り物なのかもしれない

食べ物、飲み物、石鹸などの消耗品には、使えばなくなるという大きな利点があります。

少し高級な物なら、日常では自分で買わない楽しさもあります。

これは断捨離をするようになって、強く感じるようになったことです。

物を贈る時には、

「喜んでもらえるだろうか。」

だけではなく、

「この物は、その人の家にいつまで残るだろう。」

と考えてみても良いのかもしれません。

そう考えると、カタログギフトは合理的

最近は、香典返しなどでもカタログギフトを選べることがあります。

以前は少し味気ないようにも感じましたが、たくさんの物を処分した今では、むしろ合理的に思えてきました。

受け取った人が、自分に必要な物を選べます。

食べ物を選んでもいい。

消耗品を選んでもいい。

本当に必要なら、タオルや寝具を選ぶこともできます。

少なくとも、必要かどうか分からない物を一方的に送るより、私はカタログの方がありがたいと感じます。

「まだ使える」と「必要である」は違う

今回、複数の家を断捨離して改めて感じたのは、

「まだ使える物」と「自分に必要な物」は、まったく別だということです。

使えるから残す。

高かったから残す。

いただき物だから残す。

それを何十年も繰り返すと、家は物の保管場所になってしまいます。

私は、家は物を保管するための場所ではなく、人が気持ち良く暮らすための場所だと思っています。

必要になったら、また買えばいい

だから最近は、かなり割り切っています。

今使っていない。

今後使う予定も特にない。

それなら、まだ使える物でも整理する。

そして数年後、本当に必要になったら、その時に必要な物を買えばいい。

その方が、何年使うか分からない物を大量に抱えながら暮らすより、私は気持ち良く生活できます。

藤沢、熱海、鵜の木と整理を続けていると、物を捨てているというより、「空間を取り戻している」という感覚があります。

そして大量のタオルや寝具を処分しながら、最近は贈り物についても考え方が変わりました。

贈った瞬間に立派に見える物より、受け取った人が本当に使える物。

あるいは、美味しく食べたり、気持ち良く使ったりして、最後にはなくなる物。

そういう贈り物の方が、今の私にはずっと親切に思えます。